酢豚の丸めた豚バラスライスボールについて

 私は結構、寛大な人間だ。
 酢豚に入っているパイナップルもキュウリも笑顔で避けるし、ドライカレーに入っているレーズンだって文句ひとつ言わずに捨てている。

 というかそもそも周りにあまり興味関心がないので、怒るという動作が酷く億劫なのだ。3日前に会ったセールスの兄ちゃんの顔なんて覚えていないし、はたまた10年来のつきあいの友人の顔すら一月ぶりに見ると「こいつこんな顔だったか」と頭の中で答え合わせが始まる。雰囲気は覚えているのだ、雰囲気は。
 私自身は相貌失認を疑っているのだが、周囲は私のズボラさをやり玉に挙げているのが不本意だ。まあ今のところ同僚と職場外で遭遇したときにくらいしか困っていない。

 話がずれたが、私はポテトサラダに缶詰のみかんが入っていたとして怒るような狭量な人間ではないということを理解していただきたい。
 しかしながらこうやって名前くらいしか聞いたことのないはてなぶろぐにわざわざ登録してまで、酢豚の丸めた薄切り豚肉に怒っていることを世に知らしめたいのだ。

 まず、酢豚とは何か。
 酢豚とは、豚肉とたまねぎ、ピーマン、にんじん、たけのこ……と店によって具にばらつきがありはするが、具材を素揚げして甘酢あんで絡めたものである、というのが私の認識だ。
 黒酢を使っていたり、ケチャップが入っていたりとアレンジされることもあるが、私はオーソドックスなものを好んでいる。どうも自作するとコクが足りずケチャップまみれになった赤い物体Xに変貌するので、最近では外に食べに行くことが多い。

 しかしここ数年、中華料理屋で酢豚を食べると丸い豚肉の出来損ないみたいなものを食べさせられることが多い。
 ひとくち食べて私は首を傾げた。何だか変に柔らかく、そしてやや豚臭い。安い豚肉を使っているなら仕方ないが、それにしても中がにちゃーっとぐちゃぐちゃしているのだ。

「お母さん! 何か変だよ!」
 当時学生だった私は、まるで魔王に連れ去られる息子の様に母に言った。幸い、私の母は息子をむざむざと連れ去られる父のように愚鈍ではなく、私の言い分に頷いてくれた。

 それから私の理想の酢豚探しが始まった。幼い頃家族と行ったあの店は、いつの間にか店舗が移転していて値段が倍以上になっていた。そして駐車場も狭く、ペーパードライバーの私は頭から突っ込んだ車を四苦八苦しながら道に出した。
 私がその店で得たものは、甘酸っぱいソースに絡むぐちゃぐちゃした肉と若葉マークに鳴らされるクラクションくらいだ。財布の被害も甚大だった。

 おいしいと評判の、何故か中庭にリスがいる店にも行った。中華粥はとろとろで粥好きの私を喜ばせたが、結局この店の肉も丸まっていた。それに冬はリスはいないらしく、がらんとして青いポリバケツの置いてある中庭を眺めただけだった。

 十数年前によくお土産を持ち帰っていたというホテル最上階の中華料理店にも行った。その店の肉も丸まっていた。

 そう、どこにもないのだ。豚バラブロックをぶつ切りにして揚げたものにソースを絡めた私が求める酢豚が。

 絶望したある日、私はテレビでとんでもないものを目にしてしまった。多分あれは、3分クッキングとか、つまりはまあ毎週情報番組の隙間に流されている料理コーナーだったと思う。もこみちが出てこなかったのは確かだ。
 その中で料理人は(男か女かだったことすら忘れてしまった)薄切りの豚バラ肉を、小麦粉を卵で溶いたものにつけ揚げるという酢豚を作っていたのだ。理由は豚肉が高いから安く済ませるとか、そんなコスパを気にしたレシピだったと思う。
 私は怒りに震えた。諸悪の根源はコスパだったのかと。

 しかしながらよくよく考えてみると、家庭料理においてコストパフォーマンスとはきわめて重要なことだろう。私も一人暮らしをしていた時分は、コスパを極めようとブラジル産とり胸肉とキャベツでひとつきの食費を6000円まで落としたことがある。
 豚バラブロックは国産を買おうとするとそこそこな値段がする。私だって安い賃金で働いていた頃は牛肉なんて月1度も買わなかったし、豚肉だって隔週くらいの登場頻度だった。実家のエンゲル係数が高すぎるが故に、酢豚のメインである豚バラブロックを安いスライス肉に代替することなど思いつきもしなかったのだ。

 家庭用はいいのだ。安い肉を使ったところで文句を言うのは家族くらいだ。あまりにもブーイングが多ければ薄切り肉の酢豚は食卓に並ばなくなるだろうし、台所に立つ家人もたまには清水の舞台から飛び降りる気持ちで国産ブロック豚バラを購入するだろう。
 そうして家族みんなが笑顔で国産ブロック豚バラの酢豚ののった食卓を囲むのだろう。円満解決だ。

 しかし店はどうなのだろう。度重なる不況で、飲食店など風前の灯火だ。外食産業はこれからどんどん廃れていくだろう。かつて自営で飲食店をしていた私も、昨今の不況に嫌気が差して雇われる側に戻ったくらいだ。

 たとえば、丸めた豚肉スライスボールがのった酢豚が安さが自慢の店で出てきたらどうだろう。コストを抑えて客に提供するため、泣く泣く店主が豚バラを丸める姿が目に見える。
 「俺は本当は、豚バラブロックを使いたいんだ。だけど、国産は手が出ねぇ。せめて国産を……はかたもち豚を使うにはこうするしかないんだ」と。そういうことなら仕方がない。なんせ安さが売りの店で、そこまで求めてはいないからだ。

 しかし正統派中華料理店で丸めた豚肉スライスボールが出てきたらどうだろう。そこそこの値段を取っておきながら、国産豚バラブロックではなく、国産豚バラスライスボールが出てくるのだ。コストカットと言えば経営陣への印象は良いだろうが、客には最悪だ。
 ホテルの最上階で豚バラスライスボールを食べなくてはならないのだ。美しい夜景も全然慰めにはならない。

 と、ここまで書いて私はふとしたことに気づいた。もしかしてめっちゃ高級な中華料理屋ならば材料費をケチらずに国産豚バラブロックの酢豚が出てくるのではないだろうか、ということに。
 生憎私はそこまで裕福ではなく、せいぜい今上げた中華店のランチの金額も1500~3000円ほどだ。貧乏人のランチにはちょっと贅沢だが、金持ちからすればデザートの値段くらいだろう。

 この記事の締めに、私は値段を上げていいから国産豚バラブロックの酢豚を置いてくれ、と懇願するつもりだった。しかし1000円程度のエビチリや麻婆豆腐が並ぶメニューの中で、ひとつぽつんと2500円する酢豚が並んでいたところで需要はないだろう。私のように、丸めた豚バラスライスボールに怒っている人間でない限り。
 +1000円で豚バラスライスボールから豚バラブロックにアップグレードできます、と注意書きしていたところで、多くの人は1000円安い豚バラスライスボールを選んでしまうのだろう。
 そうすると店側に豚バラブロックを用意する利点はあまりない。新鮮なうちにひもでしばってチャーシューにしてしまった方が生産的だ。

 つまり貧乏人は、豚バラスライスボールを食べるしかないのだ。
 私は絶望した。私が家で完璧な国産豚バラブロックの酢豚を作れるようになるのが先か、それとも国産豚バラブロックの酢豚を出すような店に連れて行ってくれるような人を作るのが先か。
 ひとまず今日はクックパッドを眺めながら寝ようと思う。